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【Re-Bone Wallet /特許出願編ー10“最初の拒絶通知”<余命数ヶ月の宣告>】2018.03.02

 

 

【Re-Bone Wallet /特許出願編ー10“最初の拒絶通知”<余命数ヶ月の宣告>】

 

【最初の拒絶通知】<余命数ヶ月の宣告>

 

2015年も12月になるとほぼ同時に “それ” は届きました。

 

送り先を見ると <特許庁> と書いてあります。

待ちに待った審査結果が郵送されてきました。

 

面接時のやり取りから、結果は覚悟していたのでおおよその予想はしながらも(淡い期待をどこかで抱きつつ)開封しました。

 

結果は、やはり【拒絶理通知書】でした。

 

その日のうちに“Mさん”に【拒絶理通知書】が届いたことのご報告をしました。

ある程度の覚悟と準備もしていたので、早速その【拒絶理由通知書】に目を通しましたが、自分の知識だけでは理解に苦しむ箇所も多々ありました。

 

拒絶理由は非常に多岐に渡っていました。

 

●新規性

●進歩性

●拡大先願

●明確性

 

それらの拒絶理由が、ほぼすべての請求項を網羅していました。

 

やはり初めての経験という事と、反論期限が2ヶ月と決まっているので(2ヶ月が経過してしまうと出願の権利が消失してしまい、二度と同じ案件で特許出願はできなくなります)自分も多少の不安と焦りがありましたが、そんな自分の心情を察した“Mさん”から

 

『今回の拒絶理由通知は出願人に補正の機会を与えるためのものなので、記載をよく検討して対応しましょう。』

『提出期限まで2ヶ月あるので、年内に補正案を固め、年明け以降に審査官に送って見てもらうという手順でよいでしょう。』

 

とアドバイスをいただいたお蔭で、気持ちが軽くなり有り難く感じました。

 

 

 

期限は2ヶ月しかなく年が明けた一月中には、審査官が下した拒絶理由を解消して【補正書】(指摘された箇所の訂正)と【意見書】(拒絶された部分はこれで解消されましたよ、といった書類)を提出しなければならないので、拒絶通知書と拒絶理由の先行文献などを“Mさん” にお送りして自分は何度も拒絶通知書を読み返しますが、やはりどうしても直接審査官にお会いして説明を受ける必要があると考え、特許庁に電話して審査官の方に面接の希望を伝えました。審査官の方が面接を快諾してくださったので、早速日程を決めて面接の準備に取り掛かりました。

 

【拒絶理由】それぞれの引用文献を何度も読み返して、引用文献との相違点を、審査官が納得できるように説明しなければなりません。

事前に審査官の方に確認したいことや、自分なりに訂正を加えた【請求項】へのご意見も伺いたいと思っていたのでメモ用紙に書き綴りました。

 

二度目の面接日程をお知らせしていた “Mさん” から、拒絶理由から補正した【請求項】を送っていただきました。(分かりやすく解説も添えられていました)

そして、『面談のときにはとりあえず記載要件(36条)違反をクリアできるかどうか審査官の方と相談してみて下さい。』と添えられていました。

 

“Mさん” からの力強いアドバイスをいただき、いざ二度目の面接へと勇んで出掛けて行きました。

 

この辺から、“素人と玄人の違い” をまざまざと思い知らされることとなります。

 

 

何を、どう表現すれば良いのか言葉が見つかりませんが、稚拙な文章でお許し下さい。

 

“素人”である自分は、“最終的に権利化したい部分”のみを列記し(自分は可能性を広げて記載しているつもりでしたが)ソコのみで勝負しようとしておりました。

そういった形で出願してしまうと、拒絶理由に対し補正するだけの余裕がないので、その時点で手詰まりとなってしまいます。

 

“玄人”である弁理士の方の手法は、その発明の趣旨を理解して出来得る限り権利を広げて出願するのです。そうすることによって、拒絶理由に対して補正するだけの余裕を確保しておくんですね。

 

 

【審査官とのやり取りの中で、どれだけの可能性を残して権利化させることが出来るか?】

正にこの点が、良い弁理士と良くない弁理士の違いであると伺ったことがありますが、その通りなんだと自分も思いました。

 

 

“Mさん”からいただいた補正した【請求項】と自分なりに補正した【請求項】は当然ながら雲泥の差がありました。

 

しかしながら今回の【補正案】では、●進歩性と●新規性はクリアできるが、●拡大先願のおいては認められないと審査官に指摘を受けました。

 

面接でのやり取りなどの一部始終を“Mさん”へご報告した頃には、すでに年の瀬を迎えようとしていました。

 

 

今年一年、大変お世話になったことへの御礼を “Mさん” にお伝えすると、逆に労いのお言葉をいただいて恐縮でした。

 

 

会社の代表を務めていた母の ‘がん’ が発覚したのもこの頃でした。

大腸がんから、肺と肝臓と脳に転移がみられる末期がんで、余命数ヶ月と宣告を受けました。

 

治療方針を医者と話し合いながら自分にも何かできないか、ネットなどでガンのことを調べて、民間療法なども試してみたりもしましたが、見つかったタイミングが遅すぎると医者には言われました。

 

でも母も自分も後ろ向きではなくて、非常に前向きに考えていましたし、そのように取り組んでいました。

 

そして、目標を“生きているうちに特許を母へのプレゼントすること”と位置付けて、特許取得へ更なる誓いを立てました。

 

 

2015年12月の終わりのことでした。

 

つづく

 

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